かしまし娘の生い立ちは?3歳から舞台に立っていて、実は4姉妹だった!

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2024年7月8日にかしまし娘の次女である正司照枝さんがお亡くなりになりました。

かしまし娘は1950年代後半から2000年前半まで長きに渡り活躍された漫才トリオでした。

今回はかしまし娘の生い立ちについて調べてみました。

▼この記事で分かること▼

  • かしまし娘の生い立ち
  • かしまし娘の結成に至るまで
  • かしまし娘の功績

かしまし娘の生い立ち

かしまし娘のプロフィール

かしまし娘は、正司歌江、正司照枝、正司花江の三姉妹からなる音曲漫才トリオです。

かしまし娘は

本当の姉妹であり

幼い頃から、舞台に立っていたようです。

そしてかしまし娘の姉妹は、実は

3姉妹ではなく4姉妹

だったようです。

かしまし娘の姉妹は4姉妹だったんだ!!それはびっくりだね!

4姉妹のプロフィールを詳しく紹介していきますね。

  1. 長女:正司歌江(しょうじ うたえ、1929年8月13日生まれ):北海道歌志内市出身。三味線を担当し、長女としてグループをリードしました。

  1. 次女:正司照枝(しょうじ てるえ、1933年3月15日生まれ):北海道小樽市出身。リズムギターを担当し、次女としてグループを支えました。

  1. 三女:正司花江(しょうじ はなえ、1936年5月4日生まれ):秋田県秋田市出身。リードギターを担当し、三女としてグループの中心的存在でした。

  1. 四女:正司利子(しょうじとしこ、1938年生まれ):生まれながらにして病気がちで足が不自由だったため、メンバー入りせず、芸人にもなりませんでした。

このようにかしまし娘の正司姉妹は本当は4姉妹だったようです。

かしまし娘の生い立ち

かしまし娘の家系は、芸能一家として知られています。

彼女たちの父親は旅回り一座の座長であり、母親も芸人でした。

両親のプロフィールについても詳しく説明していきますね。

  1. 父親:正司正一(しょうじしょういち)尺八を吹き、安来節を歌うなど多才な芸人でした。家族で旅回りの一座を組んでいました¹。

  1. 母親:出雲高子(いずみたかこ)という芸名で追分唄いとして活動していました。母親は四女・利子が生まれた後、産後の肥立ちが悪く、肺と心臓の結核で入退院を繰り返し、1945年に亡くなりました。

幼少期と初舞台

三姉妹は幼少期から舞台に立つ機会が多く、3歳の頃には初舞台を踏んでいたそうです。

かしまし娘は父親の一座で育ち、様々な芸を学びました。

かしまし娘の結成

旅回りと成長

1941年頃、歌江と照江が名古屋の寄席に出ていたころ、

神戸の岡田芸能社のスカウトを受け、

「天才少女姉妹漫才コンビ」として売り出されました。

その後、三姉妹で「かしまし娘」を結成し、1956年にデビューしました。

かしまし娘の家系は、芸能の才能と努力によって築かれたものです。

彼女たちの多才な芸と姉妹の絆は、多くの人々に愛され続けてきました。

休止とその後

1981年にグループ活動を「休止」しましたが、その後も個々に女優やタレントとして活動を続けました。

その後、2005年に再結成し、2024年に正司歌江さんが亡くなるまで、時折舞台やテレビ番組に出演することもありました。

かしまし娘の功績

かしまし娘の活動

かしまし娘は、1956年に「かしまし娘」としてデビューして以来、歌謡曲、浪曲、民謡、小唄、長唄など多岐にわたる芸を披露し、人気を博しました。

かしまし娘の功績

かしまし娘は、日本の漫才史において重要な位置を占める音曲漫才トリオで、多くの功績を残しています。

以下に、彼女たちの主な功績を詳しく紹介します。

かしまし娘の受賞歴
  • 1966年に第1回上方漫才大賞を受賞しました。
  • 2005年には上方お笑い大賞審査員特別賞を受賞しました。
  • 2018年には上方演芸の殿堂入りを果たしました。

また、かしまし娘ははテレビや舞台で多くの出演し、特に「うちら陽気なかしまし娘~」というテーマソングは一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか?

かしまし娘の功績は、日本の漫才史において輝かしいものとなるでしょう。

まとめ

いかがだったでしょうか?

かしまし娘は本当の姉妹で漫才トリオとして、活動をされていたようです。

また、父と母も芸人として活動されており、幼い頃からの経験が実を結んだ経歴となっていました。

2024年の1月には長女の正司歌江さんが亡くなられ、7月には次女の正司照枝さんもなくなられました。

ご冥福をお祈りいたします。

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