2024年6月8日に元武田薬品工業社長の武田國男さんが亡くなられたことが17日に公表されました。
武田國男さんはどのような生活をおくってきたのでしょうか?
▼この記事で分かること▼
- 武田國男の自宅はどこ?
- 武田國男の自宅は米国に摂取された?
- 現在の武田國男の自宅は?
武田國男の自宅はどこ?
武田國男さんは、兵庫県住吉村(現在の神戸市)で生まれ、
武田家住吉別邸
で育ちました。
かつてこの地域は、1899年から1950年まで存在し、現在の神戸市東灘区住吉各町および灘区六甲山町の東部にあたります。
住吉村は、日本一の富豪村と呼ばれるほど多くの資産家や名士が邸宅を構えていました。
特に武田家は、武田薬品工業の創業家として知られ、住吉別邸はその一つでした。
この別邸は、武田國男氏などの武田家の人々が育った場所であり、豊かな自然に囲まれ、文化的な重要性を持つ場所として知られています。
さすが武田製薬の創業者はお家も豪華だったんだね!
住吉村は、六甲山や荒神山などの山岳や、住吉川、西獺川などの河川に恵まれた地理的特徴を持ち、多くの歴史的な出来事があった地域です。
しかし、武田國男さんは1944年に甲南幼稚園に入園しましたが、母と2人で丹波大山に疎開しました。
武田國男の自宅は米国に摂取された?
神戸大空襲の後、疎開していた所から実家に戻った、武田國男さんら家族でしたが、奇跡的に武田の自宅ら一体は空襲に合わず無事だったそうです。
のちに分かったことだそうだけど、この一体は奇跡敵に助かったのではなく、わざと空襲を外したみたいだよ。
しかし、その後武田國男さんの家には、急に米軍の家族が乗り込んだきたそうです。
そして、住吉別邸はアメリカ軍によって
自宅の3分の2が接収され
同居生活を送ることになりました。
これが5年間の間も続き、4家族ほどが立ち替わり入れ替わり、武田家で過ごしたそうです。
壁などがあったため、顔を合わせたりトラブルがなかったのが、唯一の幸いだったことでしょう。
武田國男さんの自宅がアメリカ軍に接収された経緯については、詳細な記録は見つかりませんでした。
しかし、一般的に第二次世界大戦後、日本の敗戦により米軍が日本に進駐し、多くの土地や建物が接収されました。
これは、連合国軍の宿舎や施設として利用するためであり、特に空襲被害を免れた建物が対象となったという背景があります。
現在の武田國男の自宅は?
武田家住吉別邸を米軍から取り返した経緯については、第二次世界大戦後、連合国軍による占領が終了した頃だと考えられます。
日本の主要な施設や土地が日本政府に返還されたのは
1952年のサンフランシスコ平和条約
の発効によってです。
この条約により、日本は主権を回復し、多くの占領下の施設が日本に返還されました。
武田家住吉別邸も、この時期に米軍から返還された可能性が高いかと思われます。
そして、現在の武田國男さんの自宅であった住吉別にある武田家の旧別邸で、武田資料館として公開されています。
この歴史的な建物は、日本の近代建築を代表する作品の一つとされ、美しい庭園や当時の生活様式を垣間見ることができる貴重な場所です。
武田國男さんが育ったこの家は、戦後アメリカ軍に接収された歴史を持ち、その後一般公開されるようになりました。
現在、武田家住吉別邸は武田資料館として公開されることにより、歴史を感じることができる貴重な場所となっています。
まとめ
いかがだったでしょうか?
武田國男さんの幼少期は、戦前後ということもあり、大変な思いもされ育たれたことが分かりました。
米軍とひとつ屋根の下で暮らすとは、現在では想像ができないですよね。
そしてここまで武田製薬を大きくされた、武田國男さんの功績には驚かされるものがありますね。
今はゆっくりと休まれていることを願います。
ご冥福をお祈り致します。