久我美子は華族出身?!女優になることを反対されていた!家族についても紹介

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日本の映画界で長きの間、活躍された久我美子さんは華族の出身です。

久我美子の家系はどのようなものだったのでしょうか?

▼この記事で分かること▼

  • 久我美子の家系について
  • 久我美子の両親は?
  • 久我美子の兄弟は?
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久我美子の家系について

久我美子さんって華族出身なの?

久我美子さんは、日本の著名な女優で、非常に由緒ある家柄であります。

彼女は侯爵であり貴族院議員だった父久我通顕の長女として生まれ、母は日本橋区薬研堀町のべっ甲商、永峰セルロイド工業社長篠崎宗太郞の長女與志江さんです。

久我家は村上天皇の孫を祖とする村上源氏の流れを汲む清華家の家格を持つ華族の家柄であり、平安時代から続く公家の名門です。

久我美子さんはすごい家柄の人だったんだね!

しかし、久我美子さんは戦後の華族制度廃止により久我家の経済状態が悪化したため、家計を支えるために映画界に入ることを決意しました。

とはいえ、昔の日本では女優という職業は一般的には高く評価されるものではありませんでした。

特に戦前の日本では、女優や舞台女優は社会的な地位が低いと見なされることが多く、その職業を選ぶ女性は家族から反対されることも珍しくありませんでした。

そのため、久我美子さんも実家からは

久我家の「体面を汚す」

と猛反対されたと伝えられています。

それでも、久我美子さんは、1946年に東宝ニューフェイスに合格し、映画界で活躍を始めました。

その後映画界で成功を収め、多くの名作に出演しました。

さらに、久我美子さんが戦後の女優として成功を収めた手本となった人の1人と言えるでしょう。

久我美子の両親は?

久我美子さんの両親はどんな人だったのかな?

久我美子さんの両親については、先程も少し記述しましたが、詳細は下記になります。

久我美子の両親
  1. 父親:久我通顕

1903年10月生まれで久我家の家系を継いでいます。

職業は侯爵で貴族院議員を務めていました。

久我家は平安時代から続く公家の名門で、村上天皇の孫を祖とする家柄とされており、清華家の家格を持つ華族の家柄です。

  1. 母親:久我與志江

與志江さんは篠崎宗太郎の娘です

篠崎宗太郎さんは日本橋区薬研堀町のべっ甲商であり、永峰セルロイド工業社長を務めていました。

與志江さんは、久我通顕さんとの結婚に際して、華族と平民という身分の違いから宮内庁が動き、7代前の先祖まで調査されたと言われています。

久我美子さんの両親にはこのような経緯があり、結婚に至ったようです。

それでも2人は結婚できて良かったね!

久我美子さんの家柄は、日本の歴史や文化においても重要な位置を占めるものです。

久我美子さんの家柄は、日本の歴史や文化においても重要な位置を占めています。

そして、久我美子さん自身もその名門の血を引き継ぎながら、自らの才能と努力で映画界における地位を築き上げたのです。

久我美子の兄弟は?

久我美子さんには兄弟はいたのかな?

久我美子さんには、兄と妹がいたことが分かっています。

久我美子の兄弟
  1. 長男:久我誠通 1926年11月17日
  1. 長女:久我美子 1931年1月21
  1. 次女:今井ます江 19?年

久我美子さんの兄については、誠通という名前であり、現在の久我家の当主であることが分かります。

誠通さんは道元禅師の生家である第37代当主であり、当道音楽会の総裁を務めています。

兄の誠通さんも、文化や芸術の分野で活動していることから、久我家が多方面にわたって才能を発揮している家系であることが伺えます。

また、久我美子さんの妹の名前は、ます江さんで、映画監督の今井雄五郎さんの妻として知られています。

久我家は公家の名門であり、多くの著名な人物を輩出してきた家系です。

久我美子さん自身もその家系の一員として、映画界で活躍し、日本映画史に名を残す女優となりました。

まとめ

いかがだったでしょうか?

久我美子さんは華族に生まれながらも、家庭の家計難のため、家族の反対を押し切り!女優となりました。

その経験が今の女優の起源となっており、日本の女優歴史を大きく変えたことでしょう。

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