『Travis Japan』メンバー川島如恵留と6年間の交際を認めた高橋茉莉さんですが、謎が多い経歴と話題になています。
果たして高橋茉莉さんはどんな生い立ちを歩んできたのでしょうか。
▼この記事で分かること▼
- 高橋茉莉の経歴
- 高橋茉莉の幼少期の経歴
- 高橋茉莉の大学時代の経歴
高橋茉莉の経歴
プロフィール
高橋茉莉
- 出身地: 東京都新宿区
- 生年月日: 1996年11月12日
- 学歴: 立教女学院小学校、調布市立調布中学校、東京都立西高等学校を経て、慶應義塾大学文学部人間科学専攻を卒業。
- 職歴: アクセンチュアに3年間勤務後、タレントとして活動。セント・フォーススプラウト、プラチナムプロダクションに所属していたことがあります。
- 活動: 高校時代にはアディダスのモデルに抜擢され、大学ではフィールドワークに力を入れ、ボランティア活動にも積極的でした。
- 政治活動: 2024年2月に国民民主党衆議院選挙東京都第15区支部長に就任しましたが、同年4月の補欠選挙に立候補する予定でしたが、撤退を表明しました。
高橋茉莉さんは、経歴だけを見ると華々しい経歴で、大学を卒業後はアクセンチュアというグローバル企業で勤務していたり、政治家を目指したりと、多岐にわたる活動をされています。
こんな経歴の持ち主の高橋茉莉さんは今までに何があったのでしょうか。
幼少期に遡り、紹介したいと思います。
高橋茉莉の幼少期の経歴
立教女学院小学校の幼少期の生活
高橋茉莉さんの父親は東京で会社を営む経営者で、小学生まで5年生までは、20畳のリビングがある家に住んでいたそうです。
しかし、生活が一変したのは小学5年生のときで父の会社が倒産したことにより、自宅を退去し6畳ひと間に移り住むことになり、学校も転校することになったそうです。
いきなりの生活が変化したことで、小学5年生なら状況も分かっていたかと思いますが、それが大事な経験で、助けてくれる人の温かさを知ることができたと思えるとは、すごくできやお子さんだったことが覗えますね
「小学生までは、20畳のリビングがある家に住む “お嬢様” でしたが、5年生のときに父の会社が倒産。学校を転校し、自宅を退去、六畳ひと間に移り住みました。
でも、私の人生にとって、それがとても大事な経験だったんです。悔しさも味わったけれど、助けてくれる人の温かさも知ることができましたから!」
引用:smart FLASH
高橋茉莉さんが5年生まで通っていた『立教女学院小学校』はカトリックの私立小学校の中でも、特に難関校として知られる学校で、大学までエスカレーター式に上がれる学校であったため、何もなければ大学までの将来が保証されていました。
しかし、転校先は公立の調布市立調布中学校で高校は偏差値73の東京都公立だけなら2位のトップレベルの東京都立西高等学校に進学されています。
元々、勉強はできるタイプだったのかもしれませんが、トップクラスの高校に進学するには大変な努力をされたのでしょう。
生活保護を受けていた
そんな高橋茉莉さんは。父親の会社が倒産してからの時期に、生活程を受給していた時期もあったようです。
慶大進学のために借りた奨学金の早期完済を目指す中「生活保護を受けお金に困っていた時期にラウンジという夜のお店で一生懸命働いた」などと明かし、法に触れることは一切なかったと強調。
引用:スポニチ
生活保護を受給していた時期は、不明とされていますが趣味のバレエは3歳から中学3年生まで習っていたといった証言もあるため、バレエの月謝を払える余裕があったのであれば、生活保護を受給していないかと考えられるため、それ以降の時期で受給していたのかもしれません。
高校時代にはモデル活動をしていた
高橋茉莉さんの高校時代はアディダス「adidas neo」ブランドのモデルに抜擢されたことにより、『CHOKi CHOKi』や『HR』などの読者モデルをしていました。
2011年に行われたファッションに熱い思いを持った「現役高校ファッショニスタ」をサポートする、アディダスが主催するスタイリング甲子園に応募されたのかもしれません。
そのモデルに選ばれてからファッションモデルとしての幅を広げていった考えられます。
高橋茉莉の大学時代の経歴
ミスミス慶應のファイナリストになる
大学在学中に「ミス慶應2016年」に出場し、ファイナリストまで勝ち上っていました。
ファイナリストには、アナウンサーの岩田絵里奈さんや渡邊渚さんもいたそうです。
しかし、この年は主催していた「慶應義塾広告研究会の不祥事によりコンテストが中止になってしまったようです。
すごい顔ぶれのファイナリストですね。中止になっていなかったら誰が優勝していたか非常に興味深いですね。
ミス日本コンテストに出場
2018年には、ミス慶応のリベンジもかけて「ミス日本コンテスト」にのミス日本東日本代表に選出し、2,803人の応募者の中から14名がファイナリストとして最終選考に臨みました。
最終審査では、着物・水着・ドレスの審査が行われ、惜しくも愛知県出身の会社員である市橋礼衣さんがグランプリに選ばれました。
残念な結果にはなりましたが、ファイナリストに残れるだけでもすごい経歴ですね。
海外留学を体験
高橋茉莉さんは語学が得意で、5カ国語を流暢に話すことができるそうです。
話せる語学は下記の5か国語です。
日本語、英語、韓国語、広東語、スペイン語
5か国語を話せるようになったのは、高橋茉莉さんの語学習得に対する才能と努力にあると言われています。
大学4年生の時にはニューヨークの新聞社で半年間インターン留学していた経験もあり、そのような環境が語学力を高めるのに貢献したと考えられます。
西成で2週間連泊
華やかな経歴を持つ一方で、大学に入学するころ、大阪・西成の簡易宿泊街の写真を見て、その場所に惹かれた高橋茉莉さんは、1泊800円の宿に2週間連泊をしたこともあるそうです。
普通の人ならできない体験を生かし、大学のゼミで生かすなど、何でも人生経験にしてしまう高橋茉莉さんの人柄と行動力には、尊敬しますね。
「西成に住む人たちを知るために家出少女になりきり、1泊800円の宿に2週間連泊したこともあります。衛生面がきつかったけれど、住めば都。お弁当が150円で売っていたり、靴下の片方だけ売っていたり、私の知らない世界がそこにはありました。その後は、フィールドワークの経験を生かして、大学のゼミで路上生活者への物資支援と安否確認などのボランティア活動を始めました。西成の皆さんは、生き生きとしていて人間味があるんですよ。タピオカのような流行りモノも好きだけど、ディープな街も同じくらい好き。興味の幅が広すぎるのが私なんです」
引用:PR TIMES
まとめ
華々しい経歴の持ち主と思っていた、高橋茉莉さんですが、幼少期から大学時代までとても苦労をされてきたようです。
大学も800まんの奨学金を借り、入学したため、現在も返済しているとのことでした。
しかし、苦労人とは思わせない努力と好奇心の持ち主で、人生の経歴とし、捉えられているのは素晴らしいと思います。
これからも高橋茉莉さんを応援したいと思います。
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